第108号4月21日東京地裁、渾身の原告意見陳述

違憲訴訟が全て集結した。竹下弁護団長が違憲訴訟は無理と言ったくらい、ハードルが高いものだった。
朝日訴訟と並ぶ社会保障のあり方を変える画期的なものと思う。


ラビット 記
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障害者自立支援法訴訟の勝利をめざす会◆
ニュース 2010.4.21 第108号
http://www.normanet.ne.jp/~ictjd/suit/
◆(1)14地裁最後の勝利的和解・東京 裁判長も異例の個人所感発言
昨日の雨がうそのように天気が回復した東京地裁前には、原告や弁護団、勝利をめざす会メンバーなどが10時前に続々と結集。
51枚の傍聴券を求めて107名が並びました。
11時から50分間の開廷では、冒頭、竹下全国弁護団長が、2008年にはじまった14地裁での最後の和解であること、原告の訴えは人間らしく生きたいというおもいであり、1月7日の国との基本合意に反映された。
同時に「訴訟能力」や手話通訳の問題なども司法の本質をしめすものだった。
原告の勇気と粘り強さに感謝申し上げたいと陳述。

つづいて、最後の意見陳述を、家平悟さんがおこないました。
家平さんは途中、お母さんの顔が浮かんで涙と鼻水が止まらなくなったと照れてましたが、じつに感動的な陳述の一部を紹介します(全文添付word)

障害とはなんでしょうか?
2008年5月に発効された障害者の人権を保障するためにつくられた国際条約「障害者権利条約」の第1条には、障害者について、「様々な障壁との相互作用により他の者と平等に社会に完全かつ効果的に参加することを妨げられることを含む」このことが明確に示されています。

思い返せば、私が障害をもったのは24年前、15歳の夏のことでした。
プールの飛び込み事故で首の骨を折り、頚髄損傷という重い障害をもちました。
身体は全く動かず、顔をかくことさえできない自分。
食べることや服を着替えることはもちろん、排尿や排便まで誰かの手を借りなければならない現実は、思春期の私にとって、耐えがたいものがありました。
 
「こんな身体で生きていたってしょうがない。」
何度そう思ったことかわかりません。
しかし6人部屋の狭いベッドサイドで24時間懸命に看護を続けてくれる母と姉、1人で必死に入院費を稼いでくれる父。そんな家族の思いに支えられ、逃げることのできない現実を直視するようになりました。

1年8か月という長期の入院生活の後、養護学校高等部へ進学し、卒業後は近くの作業所で働くことになりました。
学ぶ楽しさ、働く喜び、どんなに重い障害があっても一人の人間として社会に参加する経験を積み重ねたことによって、自分の障害と正面から向き合うことができるようになりました。

こうした経験を通して思うのは、障害をもつことの辛さは、単に身体が動かないなどということよりも、むしろ、機能的な障害を乗り越えて社会に参加しようとしたときに、社会の側から排除されてしまう、また、障害を理由に自分のやりたいことをあきらめざるを得ない、このような現実にぶつかったときの方がよほど辛いことだということです。

(中略)

私たち原告は、今日で裁判は終わりを迎えますが、引き続き、基本合意書ならびに要望書の完全実施に向けて、引き続き定期協議の場や新法づくりに向けたさらなる運動を強めることをあらためて決意するものです。

最後に
私たちが取り組んできた応益負担制度を軸とした障害者自立支援法違憲訴訟は、国(厚生労働省)に違憲訴訟を提訴した原告の思いに共感し、これを真摯に受け止める。という画期的な和解を勝ち取りました。
しかし、日本の社会保障全体をかえりみれば、医療にしても、介護保険にしても、保険制度ではあったとしても、応益負担制度があるために、貧困層低所得者層ほど必要なサービスが受けられない、また、制度利用を抑制せざるを得ない実態があり、私たち障害者と同じような苦しみをもって生活している人たちがたくさんいます。

私たちのこの訴訟の成果が他の社会保障制度の改善につながり、障害のある人も、障害のない人も誰もが安心して暮らせる社会保障の実現につながることを願いつつ、この裁判に立ち上がった原告の思いに共感していただく立場で、裁判長より一言いただければ幸いです。(傍聴席から大きな拍手)

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