東日本大震災: 被災高齢者、介護難民に

うーむ、介護「難民」と言うのだろうか。一番の弱い人たちが介護を受ける権利が保障されずに亡くなってしまう。
災害の時でも人権は保障される必要がある。#kaigo

ラビット 記

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東日本大震災: 被災高齢者、介護難民に
 東日本大震災で、長引く避難生活が介護や介助の必要な高齢者の命を直撃している。特に津波の被災地域では、介護支援施設やそこで働くケアマネジャーらも一度に被災した。支援の仕組みが崩れ、命綱を失った多くの高齢者が「介護難民」化している。災害時要援護者が十分に援護されない現状を追った。【関谷俊介、水戸健一】

 今月8日、岩手県大槌町の三浦昭三さん(83)が、同県宮古市の病院で亡くなった。心不全だった。三浦さんは震災後、高齢者施設を2カ所回った後、死亡する3日前に救急車で病院に搬送されてきた。

 三浦さんは要支援の介護認定を受け、昨年春から週2回、日中入浴などをするデイサービスと、掃除や買い物の家事ヘルパーを利用していた。震災で自宅は流されたが、発生時は比較的高い場所にあった高齢者施設でデイサービスを受けていたため助かった。

 当初はベッドのある居室に入っていたが、自力で歩くことができたため、施設内のホールに避難中だった親族の元に移った。だが、みるみるうちに弱り、寝たきりになった。親族も被災者。付ききりの介護は難しかった。

 入所定員96人の施設に、数百人の避難者がいた。介護スタッフらの中には自宅が被災した人もいたが、避難者のために食事を用意しながら入所者や他施設から運ばれてくる重症者の対応に追われた。事務長は「スタッフはほとんど眠れなかった。精いっぱいやったが、数が多く、すべてに対応することは難しかった」と吐露する。

 親族の三浦美智子さん(47)は介護予防サービスを担う町の地域包括支援センターに相談しようとした。だが、以前から世話になっている三浦さんのケアマネジャーは津波で行方不明になっていた。

 美智子さんが町職員に頼み込み、三浦さんは3月28日、町内のグループホームに移ることになった。だがホームのケアマネジャーによると「動きは良くなったが、呼吸がゼイゼイいっておかしかった」という。近くの避難所に詰める医師に往診してもらったが手に負えず、「救急車を呼んでくれ」と言われた。救急搬送3日後、宮古市の病院から「容体が変わった」と親族に連絡があり、そのまま息を引き取った。

 夫婦で食堂を経営していた三浦さん。子供はおらず、寝たきりとなった妻イシさんを10年間、介護し続けた。そのイシさんは3年前に亡くなった。

 美智子さんは三浦さんの死について「生活のリズムが崩れたのが一番の原因だったと思う。皆さんには精いっぱい良くしてもらったと思うが、せっかく津波で助かった命だったのに残念」と話す。

 ◇自宅離れ寝たきりに

 正常圧水頭症を患い、足腰が弱っていた宮城県石巻市の山口春夫さん(84)は要介護認定されて市内の介護施設に通い、週2度のリハビリを受けていた。

 だが津波で自宅だけでなく介護施設も全壊。山口さんは妻こと子さん(78)と一緒に自身が管理するアパートに避難していた。4月に入り、自宅跡地に残したメモを見たケアマネジャーがアパートを訪ねて来たが、ケアマネジャー
は契約の打ち切りを告げただけで立ち去ってしまった。

 山口さんは病気の症状でトイレが近く、失禁の恐れもあるため、こと子さんは「避難所で暮らすことにためらいがあった」と打ち明ける。だがアパートには自宅のように歩行の支えとなる手すりを付けておらず、山口さんは徐々に寝転んでいる時間が増え、自立歩行が困難になった。

 ケアマネジャーが来て以降、施設の関係者はもとより、行政からの連絡もない。住み慣れた地域を離れたため、顔見知りもほとんどいない。運動能力が低下して一日中、布団にくるまったままの夫を見ていると、こと子さんは不安と悲しみがこみ上げる。「何とか拾った命だけれど、先が見えない。誰にどうやって助けを求めたらよいのか分からない」

2011年04月20日 12時05分
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