「聞こえるということ」 人工内耳両耳装用効果への期待(2)

あまりに「聞こえること」が当たり前の健聴者には意識すら出来ないのかも知れないが、
聴力検査で純音による検査や単音、単語、文章の言語明瞭度の検査をいくらしたところで、この会話能力は図れない。ある程度言葉が聞こえるとそれ以上の「言語能力」煮関する追跡はない。調べたわけではないので乳幼児の問言葉の発達についての研究はあっても、一応言語生活が出来ている成人についてはないと思う。耳鼻科の範疇ではなく、言語発達、生活の質の問題になるからだろうか。

今年12月2日に埼玉県で開かれた全国難聴者福祉大会にメドエル社CEOのインゲボルグ・ホフマイヤー博士のビデオメッセージがあった。
次の話は興味深かった。ドイツの聴覚関係者が新しい人工内耳の基準を発表したということとドイツの保険システムではQOLがどれだけ向上したかで償還される金額が異なるらしいのだ。

人工内耳も補聴器も装用することによってどれだけ生活の質QOLが高まるか、高まったかが重要になる。仕事をしている人はその中に就労の質、労働の質の向上も含まれる。
そう言えば先日発表のあったテクノエイド協会と日本補聴器工業会の補聴器に関する調査「JAPAN TRAK2012」に補聴器が仕事をする上でどれだけ役に立ったかという項目があったのもうなづける。

人工内耳を両耳装用することによって聞こえが改善するということは、スムーズな会話、対話が出来るようになり、会話によって刺激を受けた脳の活動が活発になり、思考能力が高まるのではないかと期待している。

乳幼児のような飛躍的な発達は望むべくもないが、人生の後半期に脳に刺激が増加するということは、それまでの人生経験と言語・知識の蓄積により、より豊かな言語生活ができると期待している。
また、音楽や周囲の自然音、環境音の聞こえも情緒の発達につながればこれもQOLの向上が図れるのではないかと期待している。

ラビット 記