中年の中途失聴・難聴者のいきと難聴青年への想い

難聴者の集いの後の交流会2次会は、中途失聴した個人事業者の集まりになった。
それぞれ、自分の生活をかけて幾重もの波を乗り越えてきている。数え切れない悔しさ、怒りで胸をかきむしり、涙を流してきた人たちだ。

この生き様というのは、今の難聴青年にも見せたい。
午前中の難聴青年のディスカッションを聞いていて、会社で周囲が何を話しているか気にしない方が苦痛を感じないでいられる、マイペースで行くことにしているという青年が複数いたことが気になっているからだ。

そうした生き方は難聴青年に限らないのかもしれないが、午後の講演で今村綾子さんが「珈琲とエンピツ」のろう者のサーフ店長の映画を作ることと東日本大震災のろう者取材の映像を取ることの矛盾は感じなかったのかと聞かれて、最初は戸惑いもあったがどっちの映像も人と人のつながりの大切さという同じメッセージを伝えるものと気づいてその戸惑いを昇華したという話をしていた。

くだんの難聴青年もこの話を聞いていたと思うが人とのつながりの大切さに気づいて欲しい。

コミュニケーションはヒトとして基本的な機能なので、コミュニケーション保障は基本的人権であり、国や地方公共団体の責務となっていることも学んで欲しい。その実現のために多くの先輩や仲間が戦っていることも知って、加わって欲しい。

ラビット 記