手話ニュースの価値は何か?

060709_1038〜001.jpgNHK手話ニュースの手話キャスターの方の講演を聞く機会があった。
団体のリーダーや最近の拉致問題から話題を振って、演歌を何種類かの手話で歌ってみせ、自分の方に注意を引き付けるのはさすがだ。話の間の取り方も長いくらいだがそれでも聴衆は視線をそらさない。

他のキャスターの方や担当ディレクターの方の話も聞く機会があるが、たいていは手話の表現の話から始まる。
時事用語もその漢字を一字ずつ「手話」に置き換えてもろう者には通じない、意味が分かるように伝えなければならないので表現に苦心されている。テロップ漢字に読みガナを付けた理由も説明される。

手話キャスターの皆さんには、なぜそういう苦労をされているのかを語って欲しいといつも思う。それが、メディアの責任だからだ。放送事業者は事実を聴覚者を含む全ての国民に知らせる使命がある。
ニュースキャスターと言えばアナウンサーとは違い、ニュースの表現について任される立場であり、ジャーナリズムの一端を担っているのではないか。

絶対的な情報入手量の少ないろう者は、社会的な情報はこの手話ニュースからしか得られない人も多い。そういう聴覚障害者にとっては、まさに「人間的な」「人間である」ための情報源だということだ。
ニュースで繰り返し伝えることで、社会の本質が分かるようになる。例えば、自衛隊イラク派兵が障害者自立支援法や消費税の税率アップの論議につながっていることが分かる。

ここに、あらゆるニュースを手話で伝える意味がある。まさに長年のろう運動で勝ち取られた「知る権利」、「情報アクセス権」だ。
メディアが、時の権力にこびる時、メディアの独立性は失われ、国民の知る権利が奪われる。
NHKは視聴料が基本的収入源となっているのは、権力から独立するためだ。NHKが経費流用などで自らの自律性を失い、視聴料不払い問題で、政府の干渉に道を開いてしまった。私たちは、政府と不祥事の続くNHKを常に監視しなければならない。
そんなことをノートに書きとめた。

ラビット 記