字幕付き歌舞伎教室

070127_1942~001.jpg聞こえなくなると音声によるコミュニケーションが難しくなる。
何かの集まりに加わるのが困難になるというだけではなく、音声で成り立つ文化からも疎遠になってしまう。
例えば演劇や映画、歌舞伎、能という音声が重要な構成要素となる文化は楽しめなくなる。
音声を字幕や手話で伝えることは出来なくはないが楽しみ方は同じではない。
演劇や歌舞伎等はシナリオがあり、事前に字幕化は出来る。生だから即興か何かで違う台詞が話された場合でも少しは対応出来るかも知れない。
演劇などは要約筆記の対象とならないがアクセス出来なくて良いということではない。
アクセス出来るためには、演出家や舞台装置の専門家の協力が必要だ。

明日の東京都中途失聴・難聴者の集いで実施される歌舞伎教室に字幕が付くが、前進座の小倉支配人がシナリオ作成から演出まで、関わってくれた。
リハーサルでは役者の位置で字幕の投影が妨げられば位置を変え、照明の当て方も考えてくれた。

明日の字幕付き歌舞伎教室はこれまでと違ったものになるに違いない。

ラビット 記