大学病院の難聴者対応


地域の医療センター的な役割を担う大学病院に難聴の仲間が入院している。


毎日見舞いに行っている家人から様子を聞くと、体の衰弱もあり、補聴器をして聞き取るのが辛いと言う。

何時まで点滴をするのか、医者の回診は何時か、いつ褥浴をしてくれるのか分からずに不安になるだろう。

体調が悪化すれば、医者や看護師に筆談を要求する気力も萎えてくる。

結局、「我慢」をして、回復を待つしかない。

聞こえないために治療を十分に受けられない、病気と向かい合えない。


一流の大学病院でも難聴者への理解と対応はまったく不十分だ。
それは自分の人間性を否定されたように感じた家人など難聴者の見舞い客が大学病院に難聴者への理解と対応を求める手紙を出したり、難聴者とのコミュニケーション方法を書いたパネルを持ち込んで、対応の改善を訴えた。


難聴の知人はナースセンターに一番近い部屋に移り、看護師たちも伝えることを紙に書いて持ってくるようになった。


「これまで、コミュニケーションが十分に出来ずに、そのことを病院にも医師にも訴えることも、書き遺すことも出来ない人が大勢いたに違いないー」
と家人は口をつぐんでしまった


ラビット 記