要約筆記の利用のために何が必要か(改題)


要約筆記は聞こえない人の「活動・参加」の保障の一端を担って発展してきた。
「活動・参加」とは、国際生活機能分類ICFの人が社会で生活、就労、学習、その他の文化的な活動も含めて全ての行動を指す。
「活動とは,課題や行為の個人による遂行のことである。
参加とは,生活・人生場面への関わりのことである。」
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/08/h0805-1.html


しかし、まだ要約筆記は私たち聴覚に障害を持つものの「活動・参加」全てに利用されているわけではない。

まだ、難聴者等の集団活動や各種行事の範囲にとどまっているのではないだろうか。
難聴者等のコミュニケーションや要約筆記に対する理解不足、文字として残ること、要約筆記者の認定制度の未発足などから、職場への要約筆記の日常的な派遣が認められているケースは少ないからだ。


難聴者等が、個人で活動する職場や地域などは利用がまだ少ない。その中にもいろいろ場面があると思うが、聞こえる人の中に混じって、言葉をやりとりする必要な場面は多い。
これらの場面はかなり同時性が要求される。
つまり「待ってくれない」場面で要約筆記はまだ多くは使われていないのではないか。
難聴者等の社会の様々な場面への参加が広がるにつれ、要約筆記がこうした場面でも参加を保障してくれるという期待がある。



難聴者等は自らのコミュニケーションと支援を考えて、自分に必要なのはその場ですぐ分かる要約筆記なのか、補聴器や読話、手話などの補足としての文字情報を求めているのかを明確にしなければならない。

要約筆記に聴覚の補完的文字情報を求められない。同じように文字を表示しているがまったく違う技術だ。
中途失聴者や難聴者は言語を獲得しているので、聞えていた言葉、補聴器や読話で
聞えている言葉を聞きたいという気持ちが強い。そのため、出来るだけたくさんとか、話し言葉をそのまま書いて欲しいという要求になる。しかし、文字で表示された話しを読むのがストレスがあるとは気づいていない。ケバ取りされた話言葉を長時間にわたって読んですぐ理解出来るというのは話しの内容が在る程度わかっているとか、手話や読話、補聴器で聞き取れている時だ。
それが出来ない難聴者はその場に参加するためには同時性が保たれた分かりやすい文章で、表示される必要がある。


コミュニケーションは、話し言葉だけで行われておらず、様々な視覚情報も活用しているが、それらを活用出来、かつ思考出来る時間が必要だ。
要約筆記は、難聴者が話が自らのコミュニケーションがどう行われているのか、何が必要かを理解しなければ利用出来ない。


ラビット 記