難聴者のセルフアドボカシー(1)

ハワイの風さんから、セルフアドボカシーについて、メールがあった。

難聴者が、自分の障害を以下に説明し、対処方法をコントロールするかというのはやはり「学習」が必要だ。
障害者自立支援法の個別給付の「自立訓練」の難聴者版を早急に作らねばならないと感じた。


ラビット 記

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難聴者が聞こえない状況をきちんと説明できないことが「周囲の無理解」を生みだしているということは大いにあります。そして周囲の無理解にさらに拍車を かける。。。
これまで、あのサムトライチン教授や他のHLAAのセミナーで学んだこと、ラビットさんのブログを元にわたしなりの考えをまとめるとすれば、以下のよう になります。

セルフアドボカシー(自分の障害やニーズ、権利について周囲に理解されるように説明できる)能力の到達度レベル
◯入門レベル―よく聞こえなかったときに、「は?」「え?」「なに?」「ん?」としかいえない。ひらがな5文字でしか反応できないのはちょっと。。。

◯初級レベル―「ワラマラ?」「にょにょにょにょ?」のように、どう聞こえたかそのとおりを反復する。少なくともどう聞こえたのかは話者にわかる。話者は同じ文章を繰またり返し言うかもしれないが、聞こえ方はおそらく変わらない。

◯中級レベル―「明日は○▲□×」と聞こえた場合、「{明日は}までは聞こえたのですが、その後がわかりません。{明日は}から後の部分をもう一度言っ てくれませんか」と、どの部分が聞こえてどの部分が聞こえなかった(わからなかった)かを説明する。打ち解けた間柄ら、「えっ?明日は何だって?」
いずれにせよ話者は、ああそうか、後半部分だけ聞こえなかったのだな、と理解できる。でも「ワラマラ」のようにあまりに短い文ではちょっと無理。

◯上級レベル―何回聞いてもナンセンスに聞こえる場合、「なんかまだよく分からないので、別の言い方で言い換え(パラフレーズし)てくれませんか」「これに書いてくれますか」。うまく対応してくれたときには「おかげでわかりました。どうもありがとう」と。お礼を言われて悪い気がする人はいない(次にも 同じことをしてくれる可能性が高まる)。

しかしながら、こうまでして聞き返さなければならないような状況を生み出す以前に(会話が始まる前に)、話者に、自分が難聴であること、どのように話してほしいか、話者が途中で話し方を変えたりするかもしれない(長い話になる)場合には{ゆっくり、はっきり、顔を見て等}話してほしい、という合図 (例:ドラえもん人形を高く掲げる)を送るという取り決めをしておく、会議などの場合は会場と席の下見と話者への事前自己紹介(メールでOK)、町中の銀行、郵便局、病院でなら職員に同じことをあらかじめ説明、などなど。。。

巷で見知らぬ人から声をかけられた場合はこのような対応は難しいが、その人と是非話をしたければ、やはり同じように事前説明する。あまり重要でない人(会話)なら来たるべきアドボカシーのストレスを避けるため「すみません難聴なのでよく分かりません、ごめんなさい!」といって逃げ去る。少なくとも変人とか狂人とは思われない。

会話(話者)の重要度によってアドボカシー能力を使い分ける(蓄える)のもストレス管理(息抜き)の立派な方法だと思います。私たち難聴者もただの人 間。いつでも完璧にアドボカシー能力を発揮きるわけじゃないですから。