放送バリアフリーの本質

障害者放送協議会の放送通信バリアフリー委員会で、放送事業者との意見交換会の内容をどうするかの議案だった。

事前協議では、政策的なことではなく、技術的なことに絞りたいという放送事業者の意向で、解説放送と字幕放送が選定されていた。

しかし、今の放送でも極端に少ない手話放送はテーマになっていない。手話放送について具体的な検討をしていないらしい。そもそも、何で手話の代わりに字幕放送ではだめなのかというくらいの認識だろう。

実は地上デジタル放送で手話放送が出来ない理由は示されたものはない。しかし、放送事業者は何故出来ないかを知っているがそれを話すと大変なことになるので言わないのだ。
実は、デジタル放送でも手話放送は出来るのだ。データ放送で手話放送をやろうとするから出来ないのであって、地デジは標準画質放送を1チャンネルで最大3番組まで放送出来るのだ。
野球放送が時間切れになっても、次の番組を見ながら野球が見られると自分で宣伝しているが何のことはない。野球放送の代わりに手話付きの放送をすれば良いだけだ。

知的障害者団体の委員が、字幕、手話、解説放送も良いですが、そのままの音声、字幕ではわからない、もっと分かりやすくして欲しいと発言した。
これに続いて、別の委員は放送は発信には非常に力を入れるが受信側がどう受け止めているかということについては無頓着だと応じた。
分かりやすくというのは非常に重要だ。「徹子の部屋」が例に出されたがあの話をそのまま字幕や手話を付けてもあの楽しさは分からない。知的障害者にも「徹子の部屋」が楽しめるようにして欲しいといわれた委員は父親の顔だった。

テレビを見るというのはもっと人間的な、ヒューマンなものだろう。
今年のセミナーの基調が固まった。


ラビット 記