難聴「者」になる

難聴に対して、最近考えていることは、難聴である人は
様々な体験や知識を得て、難聴者になるということです。

難聴者になることを周囲の人や福祉サービスが支援出来ないか、難聴者支援の方法や内容を体系化しなければならないということです。
それには、難聴者自身の探求と提案が不可欠です。

最近の要約筆記に関する議論には、物足りなさを感じている。いつまでも難聴者の願望に基づく技術論から論じるのではなく、一人で社会参加の場面に臨む時どのような技術が求められるのかを中心に据えるべきだろう。

障害者の権利条約で、難聴者の関わる場面は確実に増える。それも、主体的に関わる難聴者が増える。物言う団塊の世代は高齢になり、補聴器装用も要約筆記利用も積極的だ。聞こえる難聴者は文字だけで通訳する要約筆記をどのように見るか。要約筆記者は毅然としていられるか。

難聴者自身が要約筆記を利用している場面がどのくらいあるのか、それぞれでどのような要約筆記が求められているのか、難聴者に必要なのは「文字化された音声」だけでよいのか。難聴者はみな「自立」できているのか。


ラビット 記