納会の人工内耳での2回目の会話 

今日が仕事納めだった。朝から、請求書発行やら年末年始のスケジュールの確認、出荷作業、大掃除とあっという間に一日が終わった。

納会は、狭い会議室に皆が集まって話しをするのでワーンとなってうるさいので、難聴者にとっては一番苦痛を感じるときだ。だからひたすら食べるか飲むかが常だった。

しかし、昨年もそうだったが、今年もまた馬鹿話が出来るのもと楽しみだった。今はこうしたうるさいところでも人工内耳を使って会話が出来る。
お酒も程々に入って、クリスマスの日に白い髭が伸び縮みするサンタの仮面をしたり、きわどい話しをしたりして、盛り上がった。その後、子供の話から家族というものが血縁ではなく意識で結ばれるようになって来ているのでは
というような込み入った話まで出来たので、自分でも驚いた。

これで、人工内耳の聞こえというのは毎日の仕事や暮らしの中で、聞こえないことは相変わらずと言うことの方が多いが、今まで聞こえなかった、出来ないことが出来るようになることもある。
この時、何が違うって、聞こえるから大丈夫、話しが出来るという気持ちになれることだ。今までは話しかけられたらどうしよう、何とかごまかさなくっちゃと思っていたのが、あれを話したらどういう反応があるかなあ、あのことをこう話してみようという気持ちになるのが全く持って革命的だ。


ラビット 記