難聴は「聞こえ」の障害ではないこと。

難聴というと、あるいは聴覚障害というと「聞こえ」の障害と思われてしまう。

確かに耳で聞くことが困難な障害だが,それは難聴者の抱えている問題の一つにしか過ぎない。だから、「聞こえない」というと、一般的に治療するとか物理的な対策を思い浮かべる。
音を大きくする、大きい声で話す。補聴器を装用する。補聴援助システムを使う。

しかし、難聴というのは聞こえの障害ではないのではないか。そういうと誤解を招きそうだが、自分で問題解決できるという力を与えられておらず、自分の生き方に自信が持てない障害ではないか。

コミュニケーションの障害とも言われ、その結果、心理的にも精神的に問題を抱えている人が多い。しかし、補聴器を付け、磁気ループがあり、手話も使えるようになっても、まだ自立していくという気持ちを持てない人も多い。

社会の壁があるからだろうか、社会の壁は聞こえる人でも他の障害者でもある。難聴は、いろいろな障害、壁が複合的に作用しているのだろうか。

難聴は、聞こえの障害ではないと位置づけないと難聴者の支援は始まらない。


ラビット 記