チャペルでの聞こえ 聞こえないこと

次男の結婚式は近くのホテルに併設されたチャペルだった。1800年代に作られた英国の協会の祭壇、パイプオルガンなどを移設して出来たそうだ。

先方のご両親とは実は初対面だ。当人たちが交際を始めて数年を越えるがなかなかお会いする機会がなかった。

難聴だし、ちゃんと挨拶が出来るか会話が出来るか心配したが、会ってしまえば、聞こえないものは聞こえないし、隠してどうなるものではない、そのまま接するしかないと考えた。

だから、今日も職場で男性社員の新人研修があったが、自分は補聴器と人工内耳をしているサイボーグ人間ということを研修の途中で話した。スムーズに受け入れてくれた。
前に派遣会社の女性に話した時も驚いてはいたが理解してくれた。なぜ理解してくれたのか、その時は、もの珍しさに驚いて興味を持ってくれたのだろうと考え、自分でもこの説明は悪くないなと考えていた。

しかし、自分は難聴で聞こえないと言わずに、人工内耳と補聴器で聞いていると説明していることが好感を呼んでいるのかもしれないと考えた。つまり、失われた機能を説明するのではなく、いかに残っている機能をフルに使おうとしているチャレンジングな姿勢が共感を呼ぶのではないか。

相手のご両親には、どうやって聞いているかは説明しなかった。聞こえないということは、わざわざ自分で言うほどのこともないと思えた。それよりは、両家の関心事は新しいスタートを切った二人がちゃんと生活していけるかお互いの家族や仕事は何かということだったからだ。

チャペルのパイプオルガンは、フリーダムのミュージックでメロディらしく聞こえた。昨日、今日といろいろ考えた。


ラビット 記