難聴者の手話の学習について

地方の会員から、これから難聴者向け手話講習会に
出かけるとメールがあった。
聴覚障害者情報提供施設が開いたり、難聴者協会が開いているのかその講習会の実施主体がどこか分からないが自治体の予算ならば健聴者の手話講習会の予算の流用だろう。

手話は、ろう者の使う言葉だ。地域社会に手話が出来る人が多ければ、聴覚障害者への理解が深まり、「社会参加が促進」されるとして、聞こえる人に対して講習会が開かれている。障害者自立支援法では、地域生活支援事業のその他社会促進事業になる。
手話奉仕員養成講習会がそれに当たる。厚生労働省からカリキュラムも示されているが、聞こえる人向けの講習会だ。

これに対して、難聴者は自らのコミュニケーション手段として必要なので、聞こえる人が学習するのと全く意味が違う。
しかも、中途失聴・難聴者は聞こえない人であり学ぶこと自体に支障がある。また多くの社会生活上の問題も心理的な問題も抱えているので、手話の学習のみでは本人が持っているそもそもの目的も果たせない。
これが、聞こえる人向けの手話講習会と一番違う点だ。


難聴者は、聞こえを補うために補聴器や補助具を用いるがたいていはそれだけでは不十分なので、視覚的コミュニケーションとして、読話、手話、筆談などを併用することが有効だ。
複数のコミュニケーション方法を併用することで、理解は高まるというメリットはあるが、手話は話をする相手が手話で話すことが必要で、読話も同口型異語が多いので読話だけの読みとりに限界があるなど短所も長所もある。
これらのことを理解して、学習の指導をする必要がある。

先日、難聴者に20年近くも手話を教えているという手話通訳者にあった。両親がろう者のいわゆるCodaコーダと言われる。
どのような考えで教えていたのか、言語としての手話か、自立のための手話か。

難聴者、中途失聴者向けの自立手話講習会の必要性と考え方を説明した。何かを打ち出してくれることを期待している。


ラビット 記