NHKのETV特集「”生存権”を考える」と難聴者

憲法記念日の今日、NHK教育テレビでETV特集「いま憲法25条”生存権”を考える〜対論内橋克人 湯浅誠〜」を見た。

憲法25条”生存権”が当初のGHQ案と政府草案にはなかったが、戦後発足した民間の憲法研究会の森戸辰男が議員になって国会の検討の中で主張して加えられたということは、興味深かった。
民間の研究も政府施策に取り入れられるレベルに高めないといけないと思うからだ。難聴者施策も当事者がしっかり研究しなければならない。

ワイマール憲法の経済秩序の中での生存権が経済に左右されない生存権を保障するものだったことが紹介されていたが、それが資本主義の行き詰まりの様相を示す現在において、大きな意義があることをもっと浮かび上がらせて欲しかった。

湯浅氏は派遣労働者を始めとする国民がいとも簡単に社会から滑り落ちてしまう社会を「滑り台社会」として、国だけではなく企業にも生存権を守る責任があることを告発していたことは評価したい。

しかし、最後は内橋氏が、FEC(フェック、食料、エネルギー、ケア)の整備された共同体的な場所、生活圏をたくさん作ることで問題が解決するという「提案」?は途中で話を聞き逃したかも知れないが、頂けない。

生存権」という生きる権利の話がどうしてユートピア主義的な話になってしまうのか分からない。

違う番組か新聞に載っていたが、労働者が権利に気が付いたり、学習する余裕もない状態にまで追い込み、疲れて帰宅したらマンガやテレビのバラエティなどの刹那的な享楽しか提供されない貧困な文化状況の中で、労働者としての自覚をもてないようにしていたことを指摘する必要がある。

突然首を切られた派遣労働者労働組合を結成したり、労働組合に参加する中で解雇の撤回、正社員採用を要求して、勝ち取っていることを報道しなければ、マスメディアとしての役割を果たせていないのではないか。


難聴者問題も、難聴であることから自分が聞こえないことを恥と思って、聞こえないことが皆に迷惑をかけているように思いこみ、差別の中で我慢している難聴者が多いことが問題の根幹だ。

これに対して、間断なく広く難聴者は、自分の障害が社会に問題があること、自身にコミュニケーションの保障を受け、生き生きと生きる権利のあることを学ぶことを呼びかけなければならない。

基本的人権の保障(憲法第11条)、法の下の平等(同14条)勤労権(同27条)、生存権(同25条)、幸福追求権などと障害者の権利条約をきちんと学び、自覚的な「難聴者」になる運動が必要だ。

難聴者は学習権を持っている。社会教育法と障害者自立支援法自立訓練事業の中でだ。これを具現化したい。


ラビット 記