今後の難聴者支援と要約筆記のあり方

難聴者は聞こえない、話されている言葉が分からない、書いて欲しい、書いて伝える人、要約筆記が必要という理解はこれでいいのか?

難聴者は普通に社会の中で生活している。難聴者は、多くのニーズと様々な課題を持っている。
これを解決するには、要約筆記さえあれば良いとは言えない。

要約筆記は派遣事業が制度化されてから25年以上の歴史を持つが生活の中で要約筆記が身近に利用されているとは言えない。特に、まだ個人利用が多いとは言えない。
これは、要約筆記自体の社会的認知の遅れ、市町村で派遣制度が身近になかったということも技術が実用レベルになかったということもあるだろう。しかし、難聴者の意識もあるのではないか。

優れた要約筆記者がいれば自分はどの生活の場面でも社会のどんな分野にも対応出来る自信を持って、「使い倒す」人は少ない。
難聴者がやはり、難聴者が要約筆記を使うようになるには、それだけの理解と自覚が必要だ。とどのつまりはそうした意識に達していないということではないか。
聞きにくいのもあるが、難聴者は聞こえなくなると難聴者になるのではない。難聴という機能障害を持った人が、いろいろなことを経験したり学んで難聴者になる。

難聴者は、いろいろな支援を必要とする。情報バリアフリーの環境、相手とのコミュニケーションの取り方、補聴器機の使い方、福祉制度、セルフ・エスティームなどについて学ぶ中で、自立する力を身につける。

難聴者と関わる社会資源の人々、介護福祉士、ケアマネージャー、民生委員、保健師、学校教員、PTA役員、スーパーやデパート、電気店の店員などに難聴と難聴者の問題を理解してもらい、耳鼻科医、行政、情報提供施設、難聴者協会、補聴器専門店など専門機関につなげる役割が必要ではないか。


ラビット 記