筆談の難しさ 難聴者に筆談する

朝日新聞5月30日の夕刊に、聞こえない「筆談ホステス」さんが紹介されていていた。
銀座のクラブで売り上げNo1を争っているという。

これは相当に難しい。筆談で接客をするというのは言葉によらない何かがないとコミュニケーションは難しい。

会話のコミュニケーションにおいて、音声による情報は30%という。音声の中の非言語音声を除くと言葉としては情報量は非常に少ない。
音声で発せられる言葉には、音韻による意味の他に、声の質や強弱、間も情報を持っている。
話された言葉をそのまま文字にしただけでは意味は通じにくいのはこのためだ。

筆談は、自分の意志を書いて伝えるだけでなく、相手の意図も読んで分かるという方法だ。
筆談で、話の聞き上手なうなづきさんにもなれる。でも雄弁家にはなれない。限界がある。

書くのは手書きの方が情報量が多い。書いている様子、書くスピード、字体、崩し方、字の大きさなども情報を持つ。書くペンに何を使うか、どういうものに書くかでも意味がある。

「好きよ」と書く場合にハートの絵を入れたら、その意味は変わる。リンゴは好きよというときにハートは使わない。
ハートを赤いペンで書いたらまた違うだろう。
でもこれだけでは、No1にはなれない。

銀座のクラブの顧客の豊富な知識、人生体験にうなづける、逆にうなづかせるだけのものを持っているかだろう。


ラビット 記