難聴者運動の原点とは?

午後から藤井克徳さんの講演は結果的によく聞こえなかった。
藤井氏は要約筆記者は連れてきているのかと気遣ってくれたが、人工内耳と補聴器で何とか聞こえたのは1割くらい。みな福祉運動に関わっている人だからノートテイクのボランティアを頼もうかと思ったが始まっていたし言えなかった。
要約筆記の派遣は急には頼めない。土日や祝日はなおさらだ。

それでも、藤井氏は私と障害者運動、運動は裏切らない、運動は砥石、運動に科学を、いつも原点を心にと話された。
長い運動を牽引してきた人の話だけに淡々とした話にも力がある。

国難聴者連絡協議会の創立大会に参加して以来、難聴者運動に関わって30年だが、難聴者運動の原点とは何だったか。

我が国の難聴者組織は戦後設立された視覚、聴覚、肢体障害者の組織と違って、25年余りも遅く結成されたが設立の当初から人権の確立と民主的な運営を高く掲げていた。
これは、コミュニケーションの障害をもつが故の旗印と言える。
見て分からない社会の理解を得にくい関係性の障害を持つために人に言えない「差別」と戦ってきたのだ。岩波新書「音から隔てられて」には運動を起こした人々が人権を主張して戦ってきた話が多く載っている。
組織的には、会議で要約筆記、磁気ループと様々な聞こえの差を保障した運営方法を生みだし、民主的運営を堅持してきた。設立当初は文書審議も多かった。

これは、全国の協会にも青年にも再度伝えねばならない。


ラビット 記