何で要約筆記奉仕員カリの改訂版なの?

「すぐ書ける要約筆記者が必要」、「社会福祉のことをそんなに時間かけて勉強して実際に現場で役に立つのか」

えーっ、何で今頃こんなことを言うのかと驚いたり、あきれたり、仕事中まで頭の中をリフレインしている。

「権利擁護の要約筆記は社会福祉事業として実施される」、「障がい者制度改革推進会議の議論をしているときに要約筆記者の役割は・・・」とか言っても、しょうがないのか。

やはり、要約筆記が難聴者協会等難聴者集団の情報保障として利用されてきたことから、難聴者個人が社会の中で要約筆記を武器に聞こえる人と対等に話し合うことが出来るという体験が少ないことから、自分の聞こえの保障となる、「権利擁護」としての要約筆記の意識が薄いのだ。

このことは、2004年に全難聴が要約筆記通訳制度のあり方について、調査研究事業を始めた時、なぜこんなにも長く要約筆記奉仕員事業のままだったのか総括している。

いまは要約筆記をどうとらえているか。
個人として社会に出る武器でもあるが、集団の場での利用も「権利」として意識を昇華させてきている。
それは、「コミュニケーションの場への支援」という考え方だ。
単に聞こえないから、手話が出来ないから要約筆記が情報保障が必要だという論理をもっと高めないといけない。

各地で団体への要約筆記者派遣が制限されたり、廃止されたところが増えている。
難聴者団体の集まりの要約筆記は「権利」の行使ではないのか。いつまでボランティアにお願いすることで良いのか、交通費を払わなければならないのか。

難聴者の要約筆記の派遣に対する意識が要約筆記者を規定する。


ラビット 記