人工内耳に「功罪」という見方があり得るのか?

人工内耳について、ろう・難聴教育研究会が小研究会で取り上げるという。

ろう・難聴教育研究会は前はトータルコミュニケーション研究会、TC研と言っていた。
研究会の名称が変わったように、聴覚障害、コミュニケーションの考え方が時代とともに大きく変わってきた。
今も時代が大きく変わろうとしている。

障害の種類、程度によらず、すべての障害者の権利が保障させる障害者権利条約の中身を実際の法体系の中に反映させることが政府内で協議されている時代だ。
また、医学、IT技術なども発達してきている。人工内耳そのものも大きく発達している。

手話を使うことが権利として保障される、手話を使わないコミュニケーションをすることも対等に保障される。リハビリテーションも権利として保障を求めていく。
人工内耳を使う、使わないに関わらず、障害を持たない人と同じ権利を求めるのだ。

人工内耳をどうして「功罪」ととらえるのか、医学的リスクの問題か、教育、リハビリテーション上の問題か、社会生活上の問題か、当事者の視点の軸はあるのか、実際に参加して聞いてみたいものだ。


ラビット 記

=== 「人工内耳」の Google ウェブ アラート ===

小研究会「人工内耳の功罪を問う」11月20日(土) - ろう・難聴教育研究会
ろう・難聴教育研究会(旧TC研) 秋の小研究会のご案内
「人工内耳の功罪を問う」
http://www.deaf.or.jp/edh/011120/1120.html