封印された記憶のフラッシュ・バック 孤立化

聞こえないことでとても悔しい思いをしたとか、身をよじるような恥ずかしさを覚えたとか、言いようのない怒りを感じたとかの経験は難聴者ならたくさん持っている。
こうした感情は思い出すのも辛く切ない。その場の対応や日々の生活にプラスには働かないのでみな心の中に「封印」している。人の精神的な防御反応だ。
しかし、ある風景、ある行為、ある音によって突如よみがえることがある。匂いや音楽によってさえ記憶が戻る。

学生時代、先輩の勤務する研究所で農業機械の検査のアルバイトに行った時の記憶が突如脳裏に浮かんだ。最初何か分からなかったが、徐々に思い出した。
先輩や学友は、泊まり込みの検査中、朝から夕食後の団らんまでみな楽しそうに談笑していたが、何日もその中に入れない日が続いて、途中で帰ると言い出したのだ。

勤務先の田んぼの写真を撮っていた時、その青々とした稲の列を見ていて、黄色く実った稲の列を想像し昔の試験の光景を思い出したのだ。数えると実に40年ぶりだ。
その時は長髪で補聴器を隠して過ごしていたのだ。思い出すと切ない。

社会の難聴者に対する理解が進まない一因にこうしたリアルな体験が知られていないこともある。
東日本大震災の被災者、被災地の難聴者も皆何かを封印している。

ラビット 記