今朝の愛媛新聞「地軸」

「チャレンジド」の表現に違和感がある。
障害者は頑張らないと普通の生活が出来ないのか、障害者だけが頑張らねばならないというのは理解できない。
障害は社会の障壁と理解によって生じるという考え方からすれば、頑張るのは社会の側ではないのか。

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言葉の使い換えや容易な横文字の使用は、本質が見えにくくなる気がして好きではない。それでも心に残る言葉がある。例えば「チャレンジド」
挑戦するチャンスを神に与えられた人-の意で、障害者に代わる前向きな英語表現。日本でも「天は、その人が乗り越えられない試練は与えない」と。どちらも、相手の可能性と強さを信じるからこそ、掛けられる言葉。
障害は身体的な、目に見えるものだけではない。「難病、発達障害など社会で認知されずサポートが受けにくい『目に見えない』障害、困難、痛みをもつ人が数多くいます」と、大野更紗(さらさ)さんがインターネットのサイト「わたしのフクシ」で語っている。
大野さんは原因不明の難病にかかり著書「困っている人」を刊行。自ら「難病女子」と明るく語りながら、日本の社会制度のひずみを問うチャレンジを続ける。障害は、挑戦を諦め、他者の困難に気づかない健聴者の側にもあると気づかされる。
ロンドンパラリンピックが開幕。最多166カ国・4300人が参加。
目に見えない「熱」を、見届けたい。それぞれの困難を克服し、それぞれの限界を超えていくチャレンジがまた始まる。