君原健二さんと難聴者の「挑戦」

難聴、難聴者への働きかけは、当事者本人でも難しいと思うときがある。
自分自身が難聴としっかり向き合えていない時や度重なる「聞こえていない」現実に直面し、社会の中で恥を感じたり、思いやりのない対応に悔しさを、差別に屈辱を味わったりするからだ。
それでも、難聴と関わって生きていくには何が必要だろうか、自問自答する。それは家族の愛情だったり、人への慈しみ、仕事や趣味、何かの目標があることだろうか。
いまでも難聴児だった頃に教師から受けた屈辱も恩も忘れられない。
普通の人と変わりない生活、人生を送ることが難聴であることで妨げられない社会が必要と考えて、その社会づくりに関わってきた。
しかしチャレンジドと言われたくない。なぜ障害者側がチャレンジしなくてはならないのか。聞こえない人、耳の遠い人ではなく、難聴を自覚的に理解した難聴者であらねばならないと考えてきた。
人と関わることで、自分も社会も変わると思うこのごろだ。
変わるチャンスは以前より増えている。情報の受信も発信も多い。社会福祉制度も充実しつつある。

ラビット 記
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難聴者への講演会
(君原 健二オフィシャルブログ|ゴール無限|陸上 ...
10月14日、「難聴者中途失聴者の元気の出る集い」で講
演をさせていただきました。
3年前、JRで小倉へ行く時、前の席の方から君原さんでしょうと声をかけられました。その茅野さんは、これから下関から京都まで走るといわれました。
難聴者の茅野さんは、50 歳 ...
http://kimihara.aspota.jp/2012/10/post_81.html