散髪屋のバリアフリー(2)


050821_1334~001.jpg近所の散髪屋で半世紀の人生で初めての体験をした。
それは補聴器をしたままだったので、床屋さんと初めて会話できたのだ。
「指一本くらいに短く刈って下さい」
「すごく短いよ、一本半くらいでいいのではないの」
「それでお願いします」
耳元で、ハサミが紙を切る音が聞こえる。チョキチョキかと思っていたが、ジョキジョキに聞こえた。他の客が帰る時のありがとうございましたというのも聞こえる。
後頭部をチェックするのに、
「眼鏡いる?」
「要ります、要ります」
音楽は流れていなかった。テレビの音ではない何かが聞こえるがわからない。隣接しているスーパーの放送のようでもある。
途中で、洗髪するので補聴器を預けたら、タオルでくるんで受け取っていた。他にも補聴器を使う客がいるんだろう。

子供の頃、昼時前に入った床屋のおばさんが何か言ったがわからないまま、少年サンデーかを読んで待っていたがなかなか出てこない。待ちくたびれて、帰ってしまったことがあった。後で、母が聞いたのだが、お昼食べてしまうから待っててねと言われたのだ。子供の頃から、聞こえなくてわからない時、聞くことも出来ないままに育ってしまった。自分が難聴であることを行きつけの床屋さんは知っていたと思うが、伝えるすべは知らなかったのかもしれない。

foreighners昨日は、K線で乗り換えに困っている外人カップルがいたので、手に持っていた新聞の余白に、どこに行くのですか、H駅なら乗り換えですよと書いてみせたら、車内の路線図の駅を示す。「OK」(この電車でOKです)と言うと「Thank you、ありがとうございます」だって。聞こえなくてもコミュニケーションする方法を知っていればよいのだ。若い女性の笑顔がまぶしかったな。

地域生活におけるノーマライゼーションの必要性と効果を感じたことだった。

ラビット 記