難聴のM子さんの高校生活

難聴のM子さんは、無事、要約筆記もついて、仲間と一緒に卒業出来た。おめでとう。

M子さんがが入学した時、お母さんは学年主任と校長先生に一歩も引かずに、貴女に普通の学校生活と送らせたいと要望した。三年間の中学校生活に地域の要約筆記者や同じ母親がノートテイクを続けてきた。だから、卒業式にも要約筆記を付けることを校長が認めた。
同市内公立中学校で、卒業式に要約筆記が付いたのは初めてで、全国でも余り例がないと言う。

この卒業式は、新聞でも大きく取り上げられている。「ハンディを乗り越えたM子さん」、「ボランティアや保護者が要約筆記などで手伝った」、「学校によると市内で初めて」、「高校は地域が変わるために新たなボランティアを募っている」
これを読んで、全く問題の本質をとらえていないこの新聞記者は、いったい何を取材したのか。なぜ、要約筆記を「お願い」しなければならなかったのか、「なぜボランティアがやらなければならなかったのか」、「教師は何をしてくれたのか」、「何でまたボランティアを募わなくてはならないのか」
障害を持つ子供が自分に合った教育を受ける権利が侵害されてきたということに疑問を感じないなら報道に携わる資格はない。
なぜ、校長に3年間何もしなかったのか、教育委員会にその責任を問わないのか聞くべきだ。
難聴とはどういう障害か、特別支援教育障害者自立支援法教育基本法憲法と掘り下げられないなら、ジャーナリストの看板を下ろすべきだ。

まだ、多くの卒業式があり、入学式を迎える子供たちがいる。行政と社会が動かなくては、この子らの権利は守れない。権利が守られない社会はもろい。
次報に期待したい

ラビット 記