高齢難聴者と補聴器

060623_2133~002.jpgまたまた、眉間にしわが。
祖母は、14日、最初に修理に行って帰って来て、テレビを聞いてみると良く聞こえないが我慢していた、その一週間、テレビも字幕のあるのだけ見ていたが、どうにも毎日の生活で困るので聞こえなくて困るので、もう一度行ったというのである。

なんで?と頭を抱えてしまった。
夜の遅い私と祖母はすれ違いの生活で、日常のコミュニケーションもあまりないが、それにしてもである。毎朝、顔は合わせる。私が忙しそうにしているから、補聴器修理に行ったがどうにも聞こえないと言い難かったのだろうか。
日中は、一人で暮らしている祖母には悪いことをした。

それにしても、きちんと対応できない補聴器店、難聴者に理解のない福祉事務所、歩いてすぐ行ける近くにない相談所。日本で補聴器が普及しないのは、難聴に対する社会の理解というよりは、供給側のシステムの問題が大きいのではないか。
10年ほど前に会社に出張で言ったハンブルグには100メートルに補聴器店がいくつもあった。本屋や花屋と同じくらいある。ドイツは補聴器の修理もマイスター制度で厳しい技術の習得が必要だ。補聴器装用技術者、オージオロジストは専門の学校を出ないといけない。

高齢化社会の日本は、補聴器販売を国策で重要産業と位置づけて、利用者サービスの面でも販売店、メーカー指導でもの点でももっと力を入れるべきだ。

先日の補聴器工業会の総会後、メーカーの社長の方々と話していたら、ブルーツースでテレビや携帯電話と通じる補聴器がもうすぐ出てくるという。携帯音楽プレーヤーはipodにお株を取られたが、補聴器とオーディオ・バリアフリー(ラビットの造語)と結びつけたコンセプトの製品は、わが国の一大産業としても良いのではないか。

ラビット 記