パソコン「要約筆記」が通訳になるために(2)


イトーヨーカドーのツリー手書きでも二人書きは出来るだけ書かなくてはと身構えている場合は最初の言葉から書き始めてしまいがちだが、手書きの要約筆記は、話し手の意図を伝えるために、聞こえた言葉をすぐ書かない、まず話を聞いて内容を理解する。
話し言葉の要約は話された言葉をすべて書けないから、やむなく要約するのではない。読み手にわかるように伝えるためだ。読むやすい字を書くということもその中に含まれる。これが通訳行為だ。
これを、パソコン要約筆記で実現するために、各地でも種々実践が行われている。

パソコン要約筆記の連携入力で、150字/分、200字/分入力できたとしても、聞いた端から入力された場合、それをスクリーンで「話し言葉(に近いもの)を読んで」+「意味を考える」のに、耳で聞くよりも時間を要する。
また読む側のストレスを考えると、もっと字数を減らして、すっと頭に入る文章の方が、同時性も保たれ、読む疲れもなくなる。
特に、会議の場面では聞こえるメンバーと同じようにやり取りするには、同時性、理解のしやすさが重要となる。
講演やシンポジウムなど聞く側にいる場合の難聴者等にとっては、同時性が多少犠牲になっても字数が多くても「読む」ことは出来るかもしれない。しかし、なかなか頭に入らないのではないか。ログを求める難聴者等が多いのも同じ理由だと考えている。

一人入力か連携入力かが先にあるのではなく、パソコン要約筆記の目的が話し手の話の内容を読み手に理解しやすい言葉で伝える(これが通訳行為)なので、これを可能とする理論、技術の確立がまだ不十分な状態と思う。
手書きの要約筆記者は、通訳として要約筆記する場合、話の聞き方が違うと言う。これはパソコン要約筆記の場合はどうなのか。
現在、全難聴事業で検討しているパソコン要約筆記のカリキュラムも、実際のパソコン要約筆記の入力事例を収集して、実証的に検討しようとしている。

ラビット 記
写真は鯛焼き