デフ・ダンサー高村真理子が招聘したワイルド・ザッパーズ

故高村真理子が2006年5月3日に逝去してまもなく1年になる。


彼女の創設したWEのホームページが残っている。
「WEはとくに障害者のなかでも、音を聞くことにたよらず、身体に感じる響き、目で受け取れる情報にたよって生活している、ろう者、難聴者に希望を少しでも与えられたらと、力になりたく設立されたものです。」
WEは障害者を含む多様な文化の尊重、聴覚障害者の可能性に対する信念が表されている。
http://www.wejapan.net/index.html


デフ・ダンサー・シンガーとして、頭角を現していた高村真理子に大きな影響を与えたのがアメリカのろう者ダンスグループ、ワイルドザッパーズだ。
高村真理子が日本招聘に力を尽くしたワイルドザッパーズの映像がある。
http://www.kennedy-center.org/programs/millennium/artist_detail.cfm?artist_id=WILDZAPPER#

日本公演の模様を「目で聴くテレビ」が放送していた。
http://www.wejapan.net/wz8.html


彼女がインドネシアのろうの子供たちに手話ソングを教えて、ろう者としての自身と誇りを取り戻す支援の活動をしていたことは日本では余り知られていないのではないか。
http://www.workersforjesus.com/dfi/s-211.htm
http://mariko.or.tp/j/index.php?e=31


全難聴の国際部長を務め、1998年のSHHH難聴者のための自助組織(全米難聴者協会に改名)のボストン大会のツアーをWEが企画したのも余り公表されていない。
http://blogs.dion.ne.jp/rabit/archives/1199947.html
この記事のコメントを再掲しておきたい。

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彼女と私の最初の出会いは何だったろう。
彼女は「アメリカ手話留学記」を著していたので、多くの読者から、難聴に関わるいろいろな相談を受けていた。朝日イブニングニュースの記者をしたりしていたが、WEというアメリカのろう者文化を主に音楽の面から普及に努めていた。一人の女性を紹介してもらい、三田の喫茶店で筆談したのを思い出す。その彼女はその後朝日イブニングニュースで仕事した後、渡米して留学後聴覚障害に関わる仕事をしている。

1998年のSHHH全米難聴者協会のボストン大会のツアーはWEに企画してもらった。そのこともあり、全難聴の国際部長も務めてもらい、SHHHのスーパバイザーにもなった。現在国際難聴者連盟理事長のマルシアデュガンMarciaDuganさんは当時のSHHHの会長だった。理事長がドナ・ソーキンDonnaSorkinさんだ。
Self Help for the Hard of Hearing People (SHHH)
Annual Convention, June 13-15, 1998
Boston, Massachusetts
http://www.kcn.ne.jp/~miskij/etc002.html

2004年の全難聴の東京大会であるオープンカレッジはこのSHHHボストン大会をイメージしたものだった。彼女に日本でもこうした大会を開きたいと話し合っていたが、その企画を説明すると大いに喜んでもらい、フライングハンズのメンバーと一緒にメイン会場で手話で踊ってもらった。その美しい顔と動きは今も鮮明だ。

Posted by ラビット at 2006年05月04日 03:01

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ラビット 記