長崎市長銃撃事件  リアルな状況は字幕放送で

長崎伊藤一長が撃たれた2時間後に長崎県警が記者会見をした模様がNHKテレビで中継され、字幕放送を見た。

わずか2時間後であり、犯人の動機、市長の容態など記者から次々と質問があり緊張した刑事部長などが答えている様子は大変リアルなものだった。

テレビのメディアとしての力はこの映像と即時性にある。
リアルタイムの字幕でこのことを実感した。

同じことを過去にも感じたことがある。イチローが大リーグに行って初出場したかヒットを打った時のインタビューの話が字幕になった時とバスジャック事件の現場中継の時だ。
これまでは翌朝の新聞を読むまで、何を言っているのかわからなかったので、その場でわかるというのはとても新鮮な驚きだった。


夕張市長選の第一声がやはりニュースで放送された。字幕放送の字幕は生放送なので遅れる。候補者が次々に出ると字幕は次の候補者の顔に重なる。NHKはこの理由で選挙報道ニュースの字幕放送を止めていたが昨年の選挙の時から実習を始めた。


聴覚障害者でもその場の情報を受けて、情報を自分のものとすることが出来る。
生放送の字幕放送の遅延という特徴は普段から見ていて理解しているからだ。

紅白歌合戦の時は生放送なので字幕に誤字などがあると断わりが表示される。
選挙報道でもそうした注意を喚起すればよいだけだ。

ある一部分の現象だけを見て情報の誤った理解の危険性を理由に、その情報そのものの提供を止めるとすれば情報操作になりかねない。それはメディアの越権ではないか。


市長選挙の最中にこうした暴力が行われたことは民主主義の危機である。情報保障がこの民主主義における人権と考えている聴覚障害者の立場からも糾弾したい。


ラビット 記