闘病した難聴の仲間との別れ

春先に入院した難聴の仲間が闘病していたが亡くなった。


ガンの再発だった。
死期を感じた仲間は家の中を一切整理して入院したとのことだった。


難聴者協会の理事を4年間務めた後は、地域の活動に専念していた。
協会が助成事業で地域ごとの中途失聴・難聴者コミュニケーション講座を企画した際にいち早く手を挙げて、地域の開催に力を尽した。開催翌年からは市の心身障害者福祉センターの開催にこぎつけ、難聴者友の会の設立、難聴者向け手話講習会、要約筆記養成講習会、要約筆記サークルの結成など、地域に必要なほとんどあらゆる事
業の開始に尽力した。


耳のマークの普及では近隣の商店にどんどん利用を呼び掛け、とうとう商店街ぐるみで耳マークを置くようになっている。

地域だけてはなく、協会の会議や事業にも積極的に協力してきた。協会の事務局をこの地域の方にお願いしてきたのもあながち無縁ではない。


明後日はお別れの式がある。
仲間の育てた要約筆記者が別れの言葉を取り次ぐ。


事業を引き継ぐ決意を持って、冥福を祈る。

左の写真は、仲間の入院していた病院の受け付けの耳マーク標識板。自分自身で設置を要望したものだ。


ラビット 記