軽・中度難聴児の親の講演から



ろう学校ドットコムのサイトにあった、難聴児の親が「軽・中度難聴児の」成長を親の立場から語った講演の記録を読んだ。


自身も難聴児教育に関わっておられる同氏には会ったことはないがメールのやりとりをしたことがある。


一読しただけだが、いろいろなことを考えた。
○「軽・中度」難聴という言い方の問題。子ども自身も「軽度」と言うこと。
確かに、障害者福祉制度は聴力レベルで支援対象になるかならないかが決まるが、障害の本質から見て、重度、軽度という言い方は克服されなければならない。
今は、補聴器の性能も上がり、人工内耳による聴覚活用が出来、各種の支援機器もある時代だ。
権利条約で障害は社会の理解とバリアーに起因すると明記されている。障害の名前は出てこないし、程度の軽重ももちろんない。


昨日の講演の中で「聴覚障害は、皆さんの耳が悪いために起こるのではなく、皆さんと社会の間のコミュニケーションがうまく行かないために起こる」と話されたことを思い出した。


○聴者の中の難聴児の聴能と言語発達レベルによるコミュニケーション状況の観察は、自分の子ども時代を思い出しても記憶にないだけに興味深かった。
児童期、学生時代の言語生活は、確かにその後の思考力に影響はある。


聴覚障害者という言葉があまりないこと、「権利」という言葉が出てこないことは気になった。


教育関係者も親も、子どもは難聴であっても普通の子どもと同じ教育を受ける「権利」を持っていることを語るべきだろう。


○難聴児のサポートに教育関係者に医師と言語聴覚士、補聴器技能者が関わるだろう。
成人難聴者はどう関わるか。
サポートの専門性をどう確立させ、発揮するか。


ラビット記
写真は近所の人気ベーカリーと地場スーパーの店内
・・・・・・・・・・・・・・
平成16年7月24日(土) 大塚ろう学校専門家研修
軽・中度難聴のむずかしさ
−聞こえにくい子どもを育てた親として−
稲城市聴覚障害児をもつ親の会 橋倉あや子
http://www.rougakkou.com/dataroom/koen/040724.html