コミュニケーションについて考えた



昨日は朝から聴覚障害者自立支援センターの会議だったが、会議中に実妹から墓参りについてメールがあり、その返事をしていた。


会議後に、あの時はろうの人が話すので見て見てと呼んでたよと教えてくれた。しかもみんながメールして呼ばれているのに気が付いていないのを見ていたそうだ。


これは、会議中に自分の気持ちがそこにないということを示していたことになる。
つまり、自らコミュニケーションを閉ざしてしまったのだ。
これは、聞こえる、聞こえない以前の問題だ。日頃、
コミュニケーションの重要性を主張しているのに、反省。


要約筆記者のコミュニケーション技術も専門性の一つにあげられているがこれは要約筆記でコミュニケーション支援することを指しているのではなく、現場で通訳のために依頼者や利用者、話者、手話通訳などと良好な関係を作ることを指している。
つまり「空気」が読めなくてはそれを伝えることも出来ない。

話し手の言外の意味をつかんで伝えるところには関係しているだろうか。



ラビット 記
写真は土曜日の夕方からの雪