難聴者の家族との会話
難聴者が家族や兄弟と会食した場合、コミュニケーションはどうなるか。
家族や兄弟なので本来は一番気のおけない関係のはずだ。何でも話せるし、何でも頼めるはずだ。
しかし、実際には聴こえる家族どうし、兄弟の会話が優先される。
聴こえる家族はそれなりの会話の必要性や楽しさがあるからだ。
例えば子供や姪、甥の近況や親の様子はお互いのコミュニケーションに欠かせない。
難聴者の兄弟や叔父だからといってコミュニケーションをする方法を理解しているとは限らない。
その時に、聞こえないのでホワイトボードに書いてと頼んだこともある。法事の時に要約筆記を頼んだこともある。
家族が楽しそうに話し合っている時になかなか今のは何の話しとは聞きにくい。何度か言ったことがあるがその度に会話が中断するし、大きい声で言われても周りがうるさいと聞こえず、お手上げだ。言ってもらってもわからないので聞くのをやめてしまう。
昨夜は気の優しい姪がいたから頼めば書いてくれたかもしれない。いろいろ考えごとをしていたので頼む機会を失っていた。
難聴者は心身ともに元気でないと自らの立場の主張も言いにくいのだ。
難聴は見て分からない障害というのは聞こえるか聞こえないか見て分からないということもあるが、言わないと分からないということだ。世の中には言うに言わない「配慮のある」難聴者がいかに多いことか。
これが難聴者の日常生活だ。
ラビット 記