難聴者の就労問題の解決に向けて(1) 

就労している難聴者の職場では難聴者のコミュニケーションがどういう状況なのか、心理的にどういう影響とストレスを与えているかの理解がほとんどない。

一方、難聴者は、その閉塞したコミュニケーションの状況の中で大きな心理的抑圧感を感じ、自己否定にもつながる気持ちまで持っている。

「理解がない」から「コミュニケーション状況が改善されない」。「コミュニケーションがうまく行かない」から「誤解される」。

卵か鶏かどっちが先かの問題のようだが、はっきりしているのは難聴者のコミュニケーション状況を説明するのが難しいということだ。

聞こえの状況をいろいろ説明するがそれでも誤解を招くのはなぜかと考えていた。

それは難聴者に問題がある。「部分的に聞こえたことを聞こえる」と言うのが一番の原因ではないか。
普通「聞こえる」というと「全部聞こえる」、「分かる」と理解してしまう。
ここがボタンのかけ違いの始まりになっている。

難聴者に問題があるが責任があるとは言えない。それが誤解の元だと教えられていないからだ。

「職場に理解がない」と言ってしまうことに躊躇したが、しかし誤解の元を産み出しているのが難聴者側でもあるので、言い切らないと問題が見えない。


部分的に聞こえる、あるいは読話出来ても「よく分からない」と言う必要がある。それがはっきりしないと職場も対応しようがない。
少し聞こえるなら大きな声で言うので、ゆっくり話すから頑張って聞き取って下さいとなるのが普通だ。
大抵はすぐ普通の声になるし早口になる。
補聴支援システムが有効な難聴者もいるだろう。しかし、あちこちから話す人にマイクに話してもらうのは大変だ。

以上の理由で、大事な会議は要約筆記が有効だ。
(続く)


ラビット 記