難聴者の聞こえない社会の音(海外編)「ネーチャー・コール」

難聴女性のネーチャーコール問題を五輪からエコに結びつけるのは流石。


ラビット 記

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公衆トイレでさらに思い出したのが中国。

もう20年も前の話で今では事情も違うだろうが、当時、トイレの各ブースには戸がなく、次の人は、しゃがんで「している」人の真ん前で順番を待つ。音も匂いもなんのその。新聞を広げて何気なく待っていたりする。
最初はさすがに緊張と羞恥心で「出るものも出ず」に困ったが、一週間もすると慣れて周りの中国人と同じように「できる」ようになった。まあ、ぱっと見には同じアジア人だから尻をもろ出しにしても目立たなかったというのも幸いしたのだろうが、人間というのはサバイバルのためなら、極端に異なる文化にも意外に適応できるのだと思う。

難聴女性にとってありがたいトイレ環境は、アメリカや中国(今は北京五輪に向けたマナー向上教育で「音姫」や「二度流し」が奨励されているかもしれぬが)のように、「ネーチャー・コール」(自然の呼び声―つまり排泄の欲求)には堂々と自然に振舞える文化圏ではないか。

聞こえないことで、己の知らぬ間に他人に迷惑をかけるのは恥ずべきだが、人間なら誰でも自然に発する音まで恥じなければならない文化は、一般的に気苦労が多くないか。

でも日本のトイレのよいところは、大・小の2種類の水洗レバーがあること。アメリカ人はもっと大小対応トイレを買って節水の感覚を育てるべきである。