食の貧困化 聞こえの貧困=差別

この物価高騰のあおりを受けて、社員食堂の弁当が360円から380円に値上げした。ご飯と汁は無償で提供されているとは言え、家計の負担は大きい。
弁当を持参したり、100円ショップの缶詰をおかずに食べている人が増えた。これは、「食」の貧困化に他ならない。

聞こえの「貧困化」はどのような形で現れているのだろうか。
個人の生活面では、補聴器の購入、買い控えもあるだろう。聞こえは生きる上で大切なことには違いないが、両耳で50万円する補聴器の購入をあきらめて片耳だけにするか、機能や種別をダウングレードして福祉法対応機種(今は制度上ないが)にするか、故障しても修理しないでいるとか。

その他、企業活動が低下して、税収が減れば国と自治体の財政も厳しくなり、福祉、医療、教育にかける予算はずくなくなり、社会福祉施策の後退を招く。社会福祉の貧困化だ。
多くの民間財団による助成金基金の運用益によるものなので助成金額が減少し、休止に追い込まれるかもしれない。

こうした経済状況が続けば、現在の生活や就労状況が不安定になったり、将来の生活が不安に感じられ、精神的にも不安定になって、積極的に障害者としての権利を主張しにくくなる。社会の経済情勢が厳しいから、皆が我慢しなければならないから、自分も我慢しようと考えてしまう。
難聴であるために自分の存在価値を認められない状況に自分で追い込むことが一番の問題ではないか。聞こえの貧困化は自らの非人間化につながる。

どうやって、聞こえの貧困化を避けるか。人間としての声を上げていくことだろう。


ラビット 記