要約筆記奉仕員事業の「元」(2)

しかし、要約筆記が奉仕員事業として、スタートしたのはまだ要約筆記の専門性も整理されていない時分で、やむを得ないが、それから30年近くも続いてきたことは長すぎる。

要約筆記も手話通訳も聴覚障害者のコミュニケーション支援であることから、手話と同様に混同されているが、
手話はろう者自身のコミュニケーション方法であり、他者と手話を通じてコミュニケーションする。地域でろう者が普通に生活するためには手話を理解した市民が大勢必要なことから、障害者明るい暮らし促進事業で手話講習会が開かれ、手話の普及を図った。これが社会参加促進事業としての種手話奉仕員養成事業である。

これに対して、難聴者等自身のコミュニケーション方法は筆談で対面の会話を行うことにであるが、他の人の話をその場で書いて伝えるという本来高度なコミュニケーション支援方法が奉仕員事業として始まった。

長い間、奉仕員事業のままで推移してきたことには、難聴者側からの総括が必要である。
難聴者のニーズと社会的進出の遅れにも関係している。


社会福祉法改正で、手話通訳事業は相談支援事業などとともに障害者の権利擁護事業として、社会福祉法第二種事業になったことはこれまで再三指摘されている。
この時、要約筆記事業も同様に指定されたが、その時の関係者がその意味を十分に理解していたかというとそうではない。1999年に通知された要約筆記奉仕員養成カリキュラムはその理解の限界が現れている。
その本質的理解は2004年の全難聴の要約筆記者制度の
確立に向けた事業まで待たねばならなかった。

「要約筆記通訳者制度への課題 〜要約筆記通訳者養成等に関する調査研究事業報告〜」
http://www.zennancho.or.jp/archive/H16f_report.pdf


ラビット 記