紅白歌合戦は難聴者にも優しい。こんな歴史が・

NHK紅白歌合戦が始まった。

NHK紅白歌合戦には生字幕が付いている。
「生字幕」というのは生放送における字幕放送、リアルタイムの字幕放送の字幕という意味だ。

「生字幕」を最初に考えたのは元衆議院議員八代英太氏の秘書の久保田哲氏だ。
この頃、丸山一郎、久保構造氏等とで海の向こうのアメリカのADAを制定する動きに注目していた面々だ。

2001年(平成13年)の紅白歌合戦で最初の生字幕放送が実施された。当時のNHK海老沢会長のNHK放送技術研究所の技師たちの躊躇を振り切っての決断だ。

勤務先の机のデスクマットには、当時の紅白に字幕放送実施を伝える新聞切り抜きを入れてある。

今年で10回目。そうかあ、もうそんなになるのか。


ラビット 記

(追記)

何で久保田氏と生字幕が繋がっているか。

久保田氏は当時アメリカの字幕放送に注目していた。
アメリカで1990年13インチ以上のテレビに字幕表示回路の内蔵を義務付ける字幕回路法が成立したがその中心人物がフランク・ボウ氏だ。
フランク・ボウ氏は難聴者で、1991年のADA成立(今年がADA20周年)に力を発揮した全米障害者協議会の議長だった。
氏が字幕回路法の制定前に日本に東芝富士通ソニーなど日本のチップメーカーに字幕回路がいくらでできるか調査にきたのだ。

その時に接触したのか、その前かは分からないがフランク・ボウ氏を日本に招聘した(神戸のフェスピック、風紋さん何年だっけ?)のが丸山、久保田、久保氏等だ。

この頃か、HNかっくんがパソコン通信ニフティ・サーブに字幕RTのフォーラムを立ち上げて台風情報やテレビの字幕活動をしていたのは。
その後ニフティ・サーブの字幕RTの課金問題が起きた。
この活動が日本の生字幕の原点だ。

いろいろな人の活動があって今日の字幕放送になっている。