難聴者は「聴くこと」を意識化しないと。

昨日は人工内耳装用満4年だった。
この機会に聞こえについて考えたことが二つ。

難聴者は単に聞こえないのではなく、聴かないので聞こえない部分があるのではないか。
長い間、補聴器を装用しても人の会話は分からないという意識が染みついてしまっている。
聴こうとしないと言葉や音は耳と頭を通り過ぎていくだけだ。

もう一つは、難聴者が健聴者とのコミュニケーションで違和感を感じてしまうのは会話のテンポ、タイミングが健聴者のように出来ないことだ。
要約筆記や筆談ではことばが文字で書かれるのを待たなくてはならないがそれに「いらついて」しまう。
難聴者が自分で他の難聴者に書く場合でも話すのと同じようなテンポでと意識してしまうので殴り書きになったりする。
これは、難聴者は健聴者と違うコミュニケーション法方が必要なことを自分でも理解し、周囲にも理解してもらわないと不満がたまるだけだ。

勤務先で資料を整理していたら、会議のノートテイクの紙が出てきた。会話が要領よく、時には専門用語も交えて書かれていて会議に参加しているかのように錯覚した。
要約筆記は同時性を追求する技術を持っているのでテンポはやや遅れても丁寧に書いてもらう方が内容を把握できる。
きちんと要約させる情報提供と書かれた内容を理解するのは難聴者側の力だ。

ラビット 記