故小木保雄さんのご冥福を祈ります。

お通夜に参列し、お悔やみとこれまでのご苦労に御礼を言い、またお詫びをした。

人工内耳を全国で3番目に受けた小木さんは、当時言語聴覚士の資格制定を巡って、教育界と医療界で対立していたときに、全難聴補聴器部長とともに全国を回って、資格の必要性を説いていた。

その際に、人工内耳装用団体を全難聴と一体化したい希望を再三述べていたという。人工内耳装用者の利益を守るには当時5000名を越える全難聴の力が不可欠に映ったのだろう。
しかし、当時まだ人工内耳も装用者も知らない幹部が、時期尚早として受け入れなかったと聞いた。

いまの全難聴の状況を見ると政治的にも組織的にも一体化していた方が良かったかとも思う。難聴者の意識も高まっているともいえないが、今となっては地道に運動の協力関係を発展させるしかない。
全国の協会長のうち、人工内耳装用者は二桁を数える。

欠格条項の問題もあったが言語聴覚士法は2000年に成立した。

ラビット 記