要約筆記の日本語

060214_0038〜001.jpg盲ろう者の通訳は指点字触手話で行われている。もちろん日本語だ。

要約筆記はその場の参加の保障として、同時性が重視されている
聞いてわかる理解度と文章を読んで分かる理解度が異なることもあり、要約された分かりやすい文章で表される。
話した言葉がそのまま文字化された場合、ニュースのように構文化された日本語でも、話と同じ早さで表示されたら、きっと読めないだろう。
話し言葉が文字化されたとして、意味が伝わるかも疑問だ。話し言葉は音声で伝えられることが前提だ。また目の前に相手がいることが大部分だ。
音声は抑揚や強弱、声色(こわいろ)など音(オン)が言葉の重要な情報を持っている。
「まあ、嬉しいわあ」と聞けば多分にその意味は判断できるだろう。
表情や目線も顔の向きも話されている言葉を補完する働きをしている。
「まあ少し上がってお茶でも」と言われて、社交の挨拶か、本当の歓待の気持ちがあるかは相手の顔で分かることが多い。
話し手の服装まで言葉を補完している。スーツを来ているかジーパンで話しているかでかなり印象が異なってしまう。

通訳は意味の伝達が目的であるのに、全てあるいはできるだけ文字にすれば伝わると考えるパソコン「要約」筆記者は多い。難聴者にも多い

盲ろう者は通訳をどう受けとめているのだろう。求めているのは全文通訳ではないと思う。

今日、2時間一人で手話通訳を受けるは機会があった
私が難聴なので日本語対応手話通訳を用意してくれたが話された言葉を手話表現された日本語コードを読み取るのは疲れた。
手と口の動きを日本語に置き換える作業がまず負担だった。漢字だけの文章を読む感覚に似ているかもしれない。

利用者側が通訳を受ける意味をもって考えるべきだ。通訳者は利用者が求める以上の通訳はしない。

ラビット 記