コミュニケーション論

巷で評判のコミュニケーション論の専門家に、聴覚障害者に対する講演を依頼する。、コミュケーションの専門家がコミュニケーションについてどう考えているのかを学ぶことで、中途失聴・難聴者が「コミュニケーション」を考える時、コミュニケーションの本質に迫ることが出来るのではないかと期待してのことだ。

コミュニケーションにも、マス・コミュニケーションもローカルなコミュニケーション、個人とのコミュニケーションとかがあるが、普通は音声や文字などの情報が普通に伝わることを前提にしているのだろう。風評被害のように不確かな情報が伝播することや地位の上下関係にあるもののコミュニケーションとかが問題にされるのだろうか。
文字や音声が普通に伝わらない人々、聴覚障害者、日本語の分からない外国人、知的障害者などのコミュニケーションは専門家の中ではどう扱われているのか、興味はある。

私の中では、コミュニケーションは情報のやり取り、意志の確認等
で自分の存在意義を自分で確認することではないかと考えている。
相手の考えを知ること、自分の考えていることが伝わることで、自分がどういう存在なのかを認識するプロセスがコミュニケーションと言えるか。
彼の話を聞いて、整理してみたい。

ラビット 記