補聴器は「魅せる」ことで問題解決するのか?

補聴器の技術が進歩していると言う。

確かに、補聴器の小型化やデジタル化によりその他の機能の発達は目覚しい。しかもスケルトンの補聴器や外観をカラーリングしたものも相次いで販売され、軽度難聴者の心理的抵抗に配慮したものとしている。

進化する補聴器 「隠す」から「魅せる」時代(産経新聞SankeiWeb、2007.3/19)
http://www.sankei.co.jp/seikatsu/trend/070319/trd070319000.htm

軽度難聴者などが補聴器に真理的抵抗を持っているのは事実だが、だからといって小型のものにしたり、スケルトンやカラーリングで目立たないようにすることで問題が解決しない。
これでは、「本人の」心理的抵抗が少なくなって補聴器が売れれば良いと言うことになってしまう。見えないつもりで見えてしまっている裸の王様だ。

なぜ心理的抵抗を持つのか、聞こえないことの理解が本人にも周囲にもないことが一番の問題だ。高齢化社会が進展している中で高齢難聴者が増えているが、どういうふうに困っているのか、どうしたら聞こえが確保できるのか、家族や周囲の人は々配慮したら良いのかが知られていないので、聞き間違いを恥ずかしく思わされてしまうからだ。

就学児童も家庭や地域で高齢者に出会うことも多くなっているのだから、高齢者とのコミュニケーション方法についてもっと学習をする必要がある。テレビももっと啓発をすべきだ。
補聴器会社や難聴者団体はどうしたら良いのかのノウハウや補聴援助システムなどを社会に普及するために、地域に人材を育て、普及すべきだろう。


ラビット 記