聴覚機能と人工内耳の理解によるコミュニケーションの権利への止揚

人工内耳をするか、補聴器をするかの選択には、聴覚機能の理解が欠かせない。
つまり、なぜ難聴なのかを理解しなければ、選択しようがない。


感音性難聴であることは語音聴取検査によりわかったが、この難聴はより良い性能の補聴器で解決するのか、人工内耳の方が補聴器の限界を超えることが出来るのかを考える必要ある。


NHKの放送技研R&Dの臨時増刊号( No.50 1998年 4月 臨時増刊)に「人に優しい放送を目指して」シンポジウム(1997年)の特集が組まれていた。
聴覚機能について、日本の人工内耳の草分けの舩坂教授が報告をしている。
http://www.nhk.or.jp/strl/publica/rd/rd50-j.html


感音性難聴が外有毛細胞の減少、消滅などによるものだとすれば、騒音を抑制したり、指向性を持たせたりしても補聴器による聴取には限界があることになる。
人工内耳でも、入力される音の処理は出来る。問題は聴神経にどう伝えるかではないか。


ここまでは考えていたが、脳幹と大脳の機能はどうなのかまでは考えていなかった。老化が始まっているとすれば、どうやって防げるのか。


知的関心を大いに高める必要があるのか。


補聴器と人工内耳は機能には大きな違いがあるが、感覚補償器として差がない。
一部の医師のように、聞こえることが良いという単純な価値観は持たない。
人工内耳は、ろうであること、ろう者を否定するものではない。あらゆる障害者のコミュニケーションの権利の一つとして、共存、協働できるものだ。新しい理解に止揚すべきだろう。


ラビット 記
写真はツユクサとナス

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「高齢者の聴覚機能」
東京医科大学 名誉教授  舩坂 宗太郎
要約
 高齢者の聴覚機能の衰えは、主として蝸牛ならびに大脳をも含めた聴覚中枢神経路の退化・変化による。蝸牛は、外有毛細胞の音刺激による伸縮によって、きわめて精密な周波数分解能をもち、また複合音にはフーリエ分析を行っている器官である。脳幹の聴覚中枢路は、音声のコーデイング、大脳ではデコーディングを行い、音声言語の意味を理解する。


 したがって老人難聴では、蝸牛の障害により「小声が聞こえない」「聞き分け能力の低下」、聴覚中枢路の障害によりコーディング・デコーディングが円滑になされず「早口が分からない」「意味の聞き取り能力の低下」が生じる。ただし、個人差が大で、日常生活での積極性は知的興味や社会的地位との相関が強い。